2009年05月10日

マゼランさんの裏切りものー!(マゼランのお話序章)

さてしれっと復帰したかもしれない、
今回の歴史ネタですが、
世界一周初成功のマゼランさんにスポットを
当ててみたいと思います。

といっても・・・
ゲーム中でマゼランの足跡を辿った方が
楽しく(多少の脚色はありますが)お勉強できそうな気が・・・

気にしないでいこーと思います。

さて・・・

マゼランっちは最初から世界一周のために
航海に赴いたわけでなかった・・・ということは
このゲームのプレイヤーさんならわりと知っているのかも。

そうマゼランっちは、
元々はコロンさん(コロンブスんことですよ)
が提唱した、西回りでインドに向かう航路の発見。
これを目標にして出発していたんです。

そうコロンさんが盛んにインドだー
インドだーと言っていたのは、すでに違う大陸なんじゃね?って
認識に変わっていました。
そーこーしているうちにポルトガルのガマっちが
インド航路を発見!またインドよりさらに東方の
香辛料諸島とも言われた、東南アジア方面まで
進出が始まりました。

スペインとしては、この遅れを取り戻すべく
コロンさん始め、さらに西へ進むための航路開拓を命じますが・・・
バルボアくんが、太平洋までパナマを横断し、陸路で到達したのはよいとしても
そこから先の航路の発見がなかなか進みません。

そんな折に、ポルトガルからの下っ端貴族マゼランっちが
スペインに航海の計画を売り込みに着た・・・のがことの
始まりでした。
ちなみになんで祖国を捨ててんなことしたのかは疑問とされています。

ポルトガルとしては・・・
ぶっちゃけマゼランっちの行動は・・・
迷惑も迷惑・・・大迷惑だったみたいで
・・・・
というのもこのマゼランっち
ガマっちに続くインド司令官
アルメイダさんの下でインド経営のため働いてたり・・・
アルブケルケさんの下で東南アジア、マレー半島
マラッカ攻略にかかわってたりと・・・
インド、東南アジアには詳しいうえ
ポルトガルの最高機密である、
西回りの探検航海に関する情報ももってたりする人だったのです。

ポルトガルの西周り航海がなんで機密も機密の最高機密かって?
そりゃーあーた、トルデリシャス条約ですよー。
歴史の授業でも勉強すると思う、この条約が関係してるのです。
つまり・・・
ポルトガルはこっそりと条約で決めた西の境界線を越えて
南米大陸の一部を航行し情報を集めてたのです。
バレたら、ちょー怒られます。
その探検航海してたジョアンさんの助手も
このマゼランっちはやってたりするわけです。

つまり・・・西にも東にもわりと詳しい人物・・・
しかも他国にバラたら怒られる情報付き・・・
そんな人物があんまし仲良しでない、
(ポルトガルとスペインはこの時期、戦争もちょこちょこしてたりします。)
スペインに航海計画売り込みにいったもんだで、
ポルトガルとしては困ったもんだわーってんで
説得したり、脅迫したり、あげく暗殺者まで送り込みますが
すべて失敗。
1519年 9/2
サンルーカス・デ・パラメーダ港から
マゼランっちは世界一周に旅立っていくのです。

さて
今回のこの航海。
スポンサーはスペイン人
艦隊提督はポルトガル人
他にイタリア、イギリス、フランス・・・といろいろな国籍の水夫がおりました。
特に、もともとポルトガルとスペインは仲が悪い・・・
うえに、スポンサーはスペインなのに
提督はポルトガル人・・・
スペイン人たちは・・・
「うちの国の金と名義使ってポルトガルの発見にしちまうんじゃ・・・」
なぞと疑う人が多かったみたいです。
それでもどうにかこうにか
南米、パタゴニアあたりまでは進むことが出来ます。
しかし、大地は荒涼とし、船の食べ物は不味いし
西へ抜ける航路もさっぱり見つからない・・・
そのうちに、スペイン国籍の偉い人たちを中心に
かえるべー!かえるべーという声が出始めます。
でも、マゼランっちは
「んなことできるわけねーべさ!」
と意見を聞こうともしません。

・・・
んなすったもんでの険悪な状態でしたから
起こるべきして起きたと言えるでしょう。
この反乱は。

事はサン・フリアン港停泊中に起きました。
艦隊の5隻のうち、スペイン人が船長であった
ヴィクトリア号、コンセプシオン号の2隻が
そして艦隊内で最強の火力を有する
サン・アントニオ号の船長(ポルトガル人)が拘束されてしまい
この時、この船の副官が一人殺害されてしまっています。
反乱側に3隻の船が掌握されてしまいます。

さて困ったのはマゼランっちです。
どうしたもんか・・・と悩んでいると
スペイン船長たちは、
話し合いの用意はあるぞーっと言ってきました。
(キラーン これはチャンス到来)
マゼランっちは、話し合いに応じる振りをして
ヴィクトリア号に船長をヌッコロシして制圧、
港口を3隻で封鎖し、スペイン側に降伏するように勧告します。
これにスペイン側が応じ、双方1名つつの死者をもって
この反乱は集結するのでした。

この後、船長はすべてポルトガル人となり
マゼランは安心して航海を続けられるようになります。

さてさてと
反乱の場所、サン・フリアン港を
1520年8/24 出港した一行は さらに南下を続けます。
同年10/21 岬を発見した一行が、妙に岬が奥まで切れ込んでいるのに気づきます。
海峡か・・・いやいやでも、今までも散々、川でしたー!とか
湾でしたーってオチばっかりで、誰も半信半疑な感じです。
そこで二隻が先行して偵察に向かうことになりました。
2日後・・・
のろしの合図があがります。
・・・2隻の遭難を知らせているのか?・・・
残った艦隊に
もうツカレタヨー カエリテーヨーな空気が蔓延した・・とき
水路の奥から二隻が無事な姿で現れました。
そして、大砲を海にぶっぱなしたのです。
そう、西へ抜ける海峡発見の合図を!

1520年11/28 マゼラン艦隊は海峡を抜け初めて太平洋へと足を踏み入れたのでした。
といったところで後半に続きます。

後半は
「マゼラン漂流記。鼻高々マンの悲劇と最後!」です。
posted by ムササビ at 13:49| 静岡 🌁| Comment(0) | TrackBack(0) | 歴史などの知識ネタ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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