2005年03月17日

ヴァスコ・ダ・ガマの暴虐航海(後編)

さー やってきました。
後編です。
なにやら、タイトルが変わっているなんて・・・
気がついたら略奪しますよ。
ゲフンゲフン
前回はよっく読んでみたら
ガマ提督のことあんまり書いてなかったさー
反省。
というわけで今回はあなたは
ガマワールドにご招待ですよ〜。
と、
その前に〜簡単なアフリカ-インドについての解説〜。

インド洋には季節風と呼ばれる風が
11月から3月にはアラビアインド方面からアフリカに向かって
4月から9月くらいまではその逆アフリカからインドへ
一定期間変わることなく吹き続けていたので
インド洋の船乗りさんは昔から、この風を利用して
貿易をしていたんだそうです。
主に使った船は「ダウ」と呼ばれ
一般的には全長15〜20bの1本マストで
(もちろんどの船もそうであるようにいろいろな大きさのものがありますが)

竜骨と呼ばれる船の背骨みたいなものも
0047.JPG
隔壁(浸水を食い止めるため船を区切る壁)も無かったそうです。
比較的に海が穏やかだったためと考えられてマス!
おまけですけど
現代でも「ダウ」は結構使われているそうで
エンジンを載せて、港や沿岸はエンジン、外海に出たら帆走って
船も結構いろって話です。(ちょっと素敵?)

さて、そんな船を使って交易をし
インド-ペルシャ-アフリカの文化は混ざり合い
また混血化も進み「スワヒリ語」と「スワヒリ文化」が発生します。
元の発生理由が交易によるものだったためか
「スワヒリ文化」は商業や交易の特色が色濃い文化だったみたいですね。
取引には香辛料やべっ甲、金、象牙などなど
アラブやペルシャの商人だけではなく
インドの商人なんかも盛んにアフリカを行き来して、
立派に国際都市と呼べるものがインド洋には点在していました。
それにくらべるとヨーロッパはイスラム勢力に閉ざされた、
アフリカ-インド=都会的な場所にやってきた、
ヨーロッパ=田舎モンのガマ提督って感じと言えるみたいです。

さて話を田舎モンのガマ提督・・・っとと失礼
提督に戻しますね。
東アフリカを少し登ってガマ提督はまずモザンビークと呼ばれる
港湾都市に寄港します。
もちろん、現地の人は始めてみるヨーロッパ人
みんな興味深々って感じでいろいろと質問されます。
「キミタチ〜ドコヘイクノ〜カ〜」
ガマ提督は
「僕たちはインドへ向かっています。」
そしてガマ提督は領主さんに贈り物をしたり
領主さんからもお礼のプレゼントがあったりと
最初は仲良く出来ていたようです。
しかし、事態は急変をします。
ガマ提督たちが薪や水を集めて
さぁて船に帰るべか〜としていた時、
いきなりフル武装した現地の人々に襲撃されます。
ガマ提督もボウガンやマスケット銃で反撃!
なんとか現地の人を追い返すことに成功しました。

なんで現地の人は仲良しだったのに襲ってきたのでしょうか?
1つに宗教問題と言われていました。
今まではイスラム教徒かなーと思っていたら
実は全然違ってたよっ!やつらあぶねーさーってことで
襲ってきたっていう説です。
これはガマくんたちがそう考えたと言われてイマス。
しかし、もう一つの説に
海賊だと思われたのでは?と言う人もいます。
ガマくんの艦隊は
現地「港の中で停泊したら?」
ガマ「いやいや、もしなにかあったら物騒だし・・・やめとく。」
とか
現地「この先の水先案内人用意したよー。」
ガマ「ありがとう〜。」
フル武装したイカツイ集団でお出迎え。
現地の人はこんなフル武装した船は海賊船くらいしか居ないのが
当たり前な状況だったのです。
だから
現地(こいつら、こんなに武装してやがってヤブァイかも・・・)
って思ってしまった・・・と

結局、イザコザしてモザンビークを出航したガマ提督。
もうすでに東アフリカ中にガマ提督の怪しい艦隊の噂は
流れていて、たびたび襲撃にあっていたようです。
そんなとき、モンパサ沖を北上していると
一隻の船がぷかりぷかりと航海していたので
ガマ提督は「拿捕しちゃいなヨ!」
そこで身分の高いイスラム教徒そその妻合わせて15人
(一夫多妻ですから!チッ)
それらの人たちを人質にします。
そんなことやってるから海賊だって言われちゃう・・・
え?もう思われているから何やってもいいって?
まぁ いいけどさ・・・
そんなこんなでマリンディで人質とインドから来たという船の
水先案内人を交換して、また人質を通じて和解の考えがあることを
マリンディの領主に伝えることもでき、まぁ
イザコザを残しつつもちょっぴり解決して
1498年4月24日
インドへ向けて出航したのでした。

そしてガマ提督さまご一行はインドのカクレト王国(現在のカリカット)に到着します。
ガマ提督はさっそく領主である国王さまに謁見するため
まずはワリと呼ばれる・・・まぁ今で言うところの知事さんみたいに
人に会いに行きます。
「領主さま。今回は始めまして、コレつまらないものですけど国王さまに・・・。」
とガマくんは持ってきたものを渡しました。
砂糖、サンゴ、帽子・・・諸説はいろいろありますが
ガマくんはそれなりの物を用意したつもりだと思っておきましょう。
しかし知事は
「プッ マジでつまんねーもんじゃん。みんなちょぼいの国王さまは受け取らないよ。」
ガマくんショーック+プチーンですよ。
翌日、国王さまに会ったのですが
王様はご機嫌ななめで、ガマくんが
「僕は探検が主な任務だったので贈り物ちょぼいけど、
次のは良いものたっぷりですからっ。」
と一生懸命弁解して、ポルトガルのマヌエルっちの親書を渡して
どうにかこうにかご機嫌を直してもらったのです。

しかし、この後もトラブル続きでした。
交易品はイスラムの商人に安く買い叩かれるし
香辛料などはふっかけられるし
(それでもヨーロッパに比べれば激安価格だったそうですけど)
帰国しようと王様に申し出に行けば
「贈り物もちょぼいやつらなんて見たくもないね。税金を払ってさっさと行けば?。」
なんていわれる始末。
あげく、出発の挨拶に行った、ディオゴ・ディアス(喜望峰のディアスくんの弟)
もなんやかんやで監禁されちゃって・・・
ガマくんも仕返しとばかりに船を見学?なのかな訪れていた
住民、身分の高い人も居たんだけど、
それら19人を拉致!
「オラー! てめーら、うちの舎弟と港に保管してた商品返さんかいワレ!」
と要求。
王様はびっくりして、要求を呑み、しかもポルトガルへの
「仲良くしてねっ」って書簡までおまけで添えちったりしました。
しかしガマくんは
「ふはははは、人質はもらっていくぞ〜!また来る〜!。」
と悪役全開まっしぐらで
そのまま人質をポルトガルまで連れ去ってしまいます。
どうやら人質は親善大使あたりにでも仕立てる腹積もりだったとか。

まぁとにもかくにも、こうしてガマ提督のインド航海の1回目は
終了します。
この2年と2ヶ月の航海でガマ提督は
「インドの提督」「インドの終身総司令官」になり
前線でがんばりつづけ
2度のインドへの渡航、「また来る〜!」ってウソじゃなかったのね・・・
提督は1524年にインドのコチン病没するまで、
最前線に立ちポルトガル国家のため奔走しました。
posted by ムササビ at 07:51| 静岡 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 歴史などの知識ネタ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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