2005年04月20日

南米大陸文明

スペイン人と南米大陸文明との初遭遇は、1517年である。
キューバ島に住むエルナンデス・デ・コルドバという金持ちの植民者が、
3隻の船とともにサンティアゴ港を出航した。
目的は新しい土地の発見と獲得、
新しい労働力――つまりは奴隷――の確保である。
3隻の船は西に船を進めたが、やがて暴風雨に遭遇。
ユカタン半島(現在のメキシコ)の北端部に漂着した。
彼らはここでマヤ文明に出会う。
巨石を積み上げて造った壮大な神殿、住居、珍しい衣装を身につけた人々
(キューバ島の人々は裸に近かった)・・・・。
スペイン人たちは驚愕し、翌年、再び探検隊を派遣した。
この時、ユカタン半島より西の山奥にさらに豊かな国があることを聞き付けるのである。
この「西の山奥の豊かな国」こそ、
当時、繁栄を誇っていたアステカ帝国であった。
とまぁカッコよくスタートさせてみました。
クレイスです。
えーっと今回はもう少し南米やら
なんやらの話を進めていこーと思ってます。

ではでは さっそくスタートですよん。

まずはマヤ、アステカに到るまでの歴史について少々述べておきますねん。
メキシコに最初の文明が現れるのは紀元前12世紀頃。
名称はオルメカ。
メキシコの高原部・海岸部に
独自の“巨石文化”を残した、種族・先行の文化とも不明の文化です。
南米の遺跡には数々のすばらしい石切技術がありますもんね。
オルメカ文明は紀元前300年代を境にして急速に衰え、
代わってメキシコ高地のテオティワカン文明が台頭してきます。
基底部216×228m、高さ68mの「太陽のピラミッド」は
テオティワカン文明最大の建造物として有名なのです。
おそらくゲーム中でも遺跡として登場するはず!楽しみです!
マヤ文明は紀元前300年辺りから栄え始めます。
マヤ文明の最盛期は500年〜1000年の間。
グアテマラやユカタン半島を中心に繁栄を誇っりますが、
スペイン人たちが押し寄せてきた際には、ほとんど滅びかかっていて、
半島で各部族が群雄割拠をしている時期でした。
(スペインラッキーですねぇ)
最後がアステカ帝国。帝国の発生年代は1200年〜1300年代。
テスココ湖に浮かぶ水上都市テノチティトラン(現在のメキシコシティ)を
首都とした軍事政権として、メキシコ高地と湾岸域を支配していました。

これがざっとしたスペインが来る前の南米の歴史です!
はーい!ここテストに出ます〜!

さてさてスペイン軍の登場は
1519年4月21日コルテス軍はメキシコ湾に臨むベラクルスに上陸になります。
テノチティトランへと向かったコルテス。
途中、センポアラン、トラスカラというふたつの部族が
コルテス軍の味方になりました。
センポアランは一応アステカ帝国の傘下に入っているが
反アステカの意志が強く、トラスカラは独立していた、つまり反抗勢力ですね。
両者にとってコルテス軍の出現は、
アステカ帝国の圧力を払い除ける絶好のチャンスと思われたのである。
11月8日、コルテス軍はテノチティトランの入り口に到着します。

「市のすぐ近くに幅10歩ほどの木造の橋があり、そこで堤防は切れていました。
(中略)
この橋をわたりますと、かの首長ムテスマ(モクテスマ)が、
200人の首長とともに我々を迎えに参りました。
首長たちは皆、素足で、彼らの風習に従い、
先の者たちとは別のさらに豪奢な盛装で、
街路の両側の壁寄りに2列になってやって参りました。
街路は広々としてとても美しく、
また真っ直ぐになっていますので、端から端まで見渡すことができます。
そして両側には、住宅や寺院など、まことにすばらしく壮大な建物があります。
ムテスマは、右手にひとり左手にひとり、首長をふたり従えて、
街路の真ん中をやって参りました。
(中略)
私は馬から降り、彼を抱擁しようとひとりで進みました。
すると彼に付き添っていたあのふたりの首長は、彼に触れさせまいと、
手で私を制し、私もムテスマも、大地に接吻する儀式を行いました」

コルテスがスペイン国王に宛てた手紙で内容です。
この様子からもわかるように、スペイン人はびっくらこいたのでしょう。
その様子に、
コルテスの部下たちも眼前の光景に興奮した。
「夢ではないか」と驚きながら、目をしきりにこする者もいる。
言葉もなく唖然としている者もいる。
おおはしゃぎしている者もいる。
とあったようです。
そりゃぁ長いジャングルをひーこら抜けてきたら
湖に浮かぶ巨大都市!
僕だって興奮しますよ。

しかしスペイン軍は心の底に一抹の不安を抱いていたのです。
コルテス軍は総勢400名。
対してテノチティトランは約20万人の人口を抱える大都市だったのですから・・・。

さて次はアステカサイドの反応です。
テノチィトランの坂東さーん!
「はーい!ではこちらアステカサイドの様子をまとめてみました〜。」

アステカ皇帝モンテスマ2世は憂鬱に沈んでいました。
以前から不吉な前兆がいくつも続いていたからです。
空に赤い彗星が現れ、神殿が火災で焼ける。
毎夜毎夜、女のすすり泣く声が聞こえたかと思うと、
双頭の化物の目撃者まで出る始末!
すべてがこれから起こる異変を告げているかのように思われ、
いい知れぬ不安に苛まれていたのです。
そんな時なのです。「白い肌の人間たち(スペイン人)」の動向がもたらされたのは!
「白い肌」という言葉に、モンテスマは震え上がります。
アステカには古い伝承があったから。
アステカ帝国が出現する以前、トルテカという国が高地に君臨していました。
この国である時、テスカトリポカとケツァルコアトルという2神の争いが行われ、
テスカトリポカは軍神。人間の犠牲を好む神。
対して羽毛が生えたヘビの姿をしたケツァルコアトルは文化の神。
犠牲を求めない。争いは軍神テスカトリポカの勝利に終わり、
白い肌をしたケツァルコアトルの神官は都トゥーラを追われることになのました。
神官は、「私は1の葦の年に必ず帰って来る。
そして実権を我が手に握る。1の葦の年こそは人民にとっての災厄の年になるだろう」
という言葉を残し、東の海へと去ったのです。

スペイン人の出現を聞いた時、モンテスマの脳裏に真っ先によみがえったのは、
このケツァルコアトルの伝承でした。
しかも―偶然とは実に恐ろしい―コルテスたがやってきた、
1519年4月はアステカの暦では1の葦の年にあたっていたのです。
モンテスマは当然の如く、
コルテス軍をケツァルコアトルの伝承と結びつけて考え、
あの手この手を講じて彼らを追い払おうするわけですよ。
使者を通じて莫大な黄金と財宝を贈ったり、
妖術師に命じて進軍を食い止める呪いまでさせたりと。(苦労が忍ばれます・・・)
しかし、どれも失敗した。ことに莫大な贈り物はスペイン人たちの物欲を刺激した、
という点で火に油を注ぐ結果となってしまったというのに。
すでに勝負はついたも同然ですよ。
スペイン人をケツァルコアトルと信じているモンテスマは、
コルテスの命令に唯唯諾諾と従うしかなかったのです。(信心深いからね。)
コルテスはモンテスマに命じて、国中かた金銀財宝を集めまくったのです。
アステカ人のスペイン人に対する不満は、当然の如く募っていきました。
「こんにゃろー!神だか紙だか髪だかしんねーけど
いきなりズカズカ着て威張りやがってよぉ!ケッ」
ってなもんです。

やがてコルテスは一時、テノチティトランを離れることを余儀なくされます。
キューバ総督ベラスケスが、コルテスを反乱分子と決め込み、
討伐軍を送り込んできたから。
アステカにしてみれば「やられちまえっ」てなモンだったのかもですね。
コルテスはペドロ・デ・アルデバラードという隊長に残留部隊を任せると、
直ちに迎撃に向かい、討伐軍を撃破。
司令官のナルバエスを捕縛し、アルデバラードくんが
あったかいご飯とぽかぽかお風呂〜を用意して待っててくれたか
それはわかりませんが、たぶん吉報を信じて待ってるはず。
早く帰らなきゃって感じに、
討伐軍の兵士たちの大部分を味方につけてテノチティトランへと引き返したのでした。

しかし・・・異変はこの間に起こっていたのです。

続く!!!

今回は面白ポイントすくないかも><
次回はもっと面白く書きます。
posted by ムササビ at 15:01| 静岡 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | 歴史などの知識ネタ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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