2005年04月22日

悲しき夜

またまた
ちょっぴりカッコ良いタイトルですが・・
内容は前回の、南米大陸文明の続きです ^^。

コルテスの留守の間に起こった異変とは!
また、悲しき夜の意味するところは!

気になる方は続きへゴーですじょ
 異変はこの間に起こっていた。
残留部隊の兵士たちは祭典に興じるアステカ人たちを見て、
反乱を企てているものと勘違いし大虐殺を行っのです。
これにはもちろんアステカの人は怒ります。
ただお祭りをしていただけなのに・・・
当然というか当たり前たといか、
激怒したアステカ人たちが一斉に武力蜂起し、
残留部隊を王宮に閉じ込め、包囲していたのです。
コルテスは必死で包囲網を破り、王宮内のアルバラードに合流しました。
しかし、食料・武器・弾薬、
怒りに燃える20万のアステカ人を相手にするには何もかもが足りナイ状態。
両者の間を何とか調停しようとしたモンテスマも投石に打たれて死ぬ始末。
とんだとばっちりですね・・・、かわいそう ><
コルテスはテノチティトラン撤退を決意。甚大な犠牲を払いつつ、
テノチティトランを脱退しました。
それしか手は残されていなかったのです。
時は1520年7月初旬のこと。
メキシコの歴史の中で「悲しき夜」という名で知られる後退劇でありました。
この悲しいという意味。
僕は両者が真に分かり合える機会は永遠に無くなったということから
きているのではと考えてしまうのは考えすぎかもしれませんね。

コルテス軍は一旦、同盟者のトラスカラ族の土地に後退して反撃の準備を整え、
同年12月28日、アステカ帝国攻略を開始しました。
兵力はスペイン兵が600人、トラスカラ族が約1万人。
コルテスはいきなりテノチティトランに攻めかからず、まず周囲を抑える作戦に出ます。
すなわち、テスココ湖の周囲に点在し、
首都防衛の役目を負っている拠点をひとつずつ武力制圧し、
テノチティトランを孤立させようと考えたのです。
兵法り常套手段ですね。

勝利の女神はコルテスに微笑んでいる、このように見えました。
というのも、テノチティトランでは10月頃から天然痘が蔓延!
死亡者が続出し戦力が衰えていたのです。
この天然痘はどうやら、ナルバエス(コルテス討伐軍司令官)の軍に参加していた
黒人がセンポアランで発病したのをきっかけに
メキシコ全土に急速に広がったと見られています。
南米の住人たちにとって始めての伝染病であるから、
抵抗力は皆無。テノチティトランでは新皇帝クイトラワクも命を落としました。
なんと言いますか・・
金銀財宝を奪って行き、お祭りを邪魔して、病気を撒き散らして・・・
どこの悪党ですか!って感じです。

テノチティトランへの攻撃が開始されたのは、5月末頃になってからです。
攻防は激烈を極めました。
スペイン人の武器は大砲、小銃、石弓(ボウガン)に加え槍や剣。
鉄製の甲冑も身にまとっています。
対してアステカ帝国軍の武器は剣・槍・弓矢・投石など。
剣や槍といっても、スペイン人のそれとアステカ人のそれは素材が異なります。
まずスペイン人の剣・槍はいずれも鉄製。
普通に剣や槍って想像してもらえれば、それで良いと思います。
アステカ人の剣・槍は木製の本体に黒い刃のようなものが取り付けられているが、
これは黒曜石片で作った刃である。
どちらかといえば・・・薄っぺらいシャモジに黒曜石の刃が張り付いてる感じ?
釘バットにして破壊力UPみたいなもんですね。(全然チガウ)
この刃は生身の相手に対しては破壊力が絶大でした。
今までは鎧といえば皮製くらいでしたからね。
それでも馬など一撃で斬り殺せたといわれます。
しかし、鉄製の甲冑相手では無理な話で、
アステカ帝国軍はそれでも武器の違いをもろともせず、
人海戦術にものをいわせて何度かコルテス軍を押し戻し、
その度に捕虜をとらえたりしました。
とらえた捕虜たちは神殿の上で、
これ見よがしに生きながら心臓をくりぬかれ、神の生け贄に捧げられたのです。
イメージ的に、多分皆が普通に想像している通りで良いと思いますよ。

戦局が攻略軍有利に傾いたのは7月に入ってからのことです。
コルテスが指揮するスペイン人部隊は大砲・小銃を駆使し、
連日の猛攻を撃退していきます。
周辺の諸部族はこれを見て改めてスペイン人に味方した場合の利、
敵に回した時の恐ろしさを悟ったのです。
そりゃあ、爆音響かせ、鉄防具に身を固める
まるで悪魔みたいに見えたんでしょうねぇ。
新たに協力を誓う部族が続出。
攻略軍は10万余に膨張したそうです。
1521年8月13日テノチティトランはついに陥落してしまいました。
青年皇帝クワウテモックは再三の降状勧告にも耳を貸さず、頑強に抵抗していたのです。
食料は底を尽き餓死者が続出してもそれでも頑張っていたのです。
しかし、鉄のような意志にも限度があるのは当然、
脱出を図ったところを捕らえられ、コルテスに降伏した。
おそらく彼が皇帝でなければ・・・・
いえいえ・・歴史にもしもは無粋ですね。

アステカ帝国攻略を完了したコルテスは、ついでコロンブス以来の宿題であった
シヌス・マグヌス(南の海:現太平洋のこと)へと抜ける海峡の探索にかかりました。
彼は1522年5月15日付けのスペイン王国に当てた手紙の中で
「南の海が発見できれば、陛下に対して、極めて大きな、また意義深いご奉仕ができるものと思い、喜んでおりました。とりわけ、インディアスの航海につき、何らかの知識と経験のあります者は皆、この地域で南の海を発見すれば、必ず金、真珠、宝石及び香料が豊富にあるたくさんの島々を見つけだし、その他多くの道のものや驚嘆するべきものを発見できるに違いない、と考えていたからであります」
コルテスは大西洋から「南の海」、シヌス・マグヌスへとの抜ける海峡を逆方向
から探し出そうとしたのでのです。

しかし、シヌス・マグヌスをめぐる謎の解明は、
コルテスがアステカ帝国を制圧しようと躍起になっていた間に、
ひとりの航海者によって着実に進められていました。
コルテスがスペイン国王宛ての手紙を作成した時から約4ヶ月後、
シヌス・マグヌスの本当の大きさ、
海峡の存在についての回答がスペイン本国にもたらされることに・・・

「うむうむ、コルテスくんも無駄な努力だったねぇ」
む、アンタはもしや!
「ほっほっほっ、青年皇帝クワウテモックのコルテスくんへの最後の抵抗だったのかな?」
確かにそれはあるかもなぁ・・・
「それより次回はちゃんと私の話を書いてくれよ。
このマゼランの話をのぅ」
あ〜それ無理だから
「なにゆえに!!納得いかんぞ!小学校の教科書にも載る私がなぜ!」
だってゲームはまだそこらへんまで進んでないしw
あんまり歴史ネタばっかり進めるのもなんでしょ
「ガーン・・・・いつかは書いてね・・・ ;;シクシク」
あー はいはい、いつかは書いてやるから泣くなって、なっ
「うん・・・」

というわけで
しばらくは歴史は進めません。
変わりに、海戦で使われた武器(主に白兵戦)なんかの特集やら
当時のヨーロッパの
とくにスペインの王室うんぬんの話なんか面白いかなーって思ってます。
まだ未定だけど・・・
しばし待ててくだされよー
posted by ムササビ at 11:03| 静岡 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 歴史などの知識ネタ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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